No.342


2021年 3月 弥生

 おひなさまの三月ですね。
 如何お過ごしですか




 最近のバレンタインは、単に好きな男性にチョコレートを、というだけじゃなく、
 もっと幅広く、と云うことのようですが。
 今年は思いがけず、男性から、かわいいチョコレートが贈られてきて、
  -少しでもホッとして頂けたら嬉しいです
     Happy Valentine 2021-
と、小さなカードに記されていました。

 これだけでも嬉しいのに、「ありがとうメール」の返信にこう書かれていたのです。
 ー (前略)
    世の中が経験したことのない感染症が蔓延する緊張下で、
    少しでも心を柔らかくして頂ければ、と云う思いです!
    ただ、こうした気持ちと行動は
    すべてが、ボスととも子さんから教わったものであり、
    それをお返ししているにすぎません(後略) ―

 胸があたたかくなりました。
 さわやかな、みどりの風が吹き抜けたようでした。

 確かに、チョコレートも嬉しいけれど、
 この、「お返しに過ぎません」と云う一言の重さとあたたかさが胸にしみました。
 お世辞ではない、本音が伝わってきたからです。
 そして、自分がまだ若かった頃、他人に感謝しても、この素直な一言は、云えない。
 と云うか、心底「教わった」と気付けることが無かったんじゃないか、と、省みたりもしました。

 因みに送り主の男性は、十代の頃から夫をボスと呼んで慕い、私たちが仲人をするなど
長いつき合いですが、
 12年前に夫が急逝した後も態度が変わることなく「いつでも飛んでいきます」と云い続け
てきた人。
 そして、その言葉の通り、私が困った時は雪の中でも飛んできてくれた頼れる人でも
あります。

 そして、こと改めて、このバレンタインにかけてくれた言葉と、チョコレートは、このコロナ
禍中、誰にも会わずに自粛している私の懐に飛込んできて、温かなぬくもりの灯をともして
くれたのでした。




 おしゃれなミルクチョコと、
 レオ・レオ二のかわいい切手シートを「とも子先生に!」とプレゼントして下さったUさんも
ありがとう!
 あなたは、いつもこうやって気持ちを届けてくださいますね。

 たった今、私が行動を共にしている仲間たちとは、かなりこうした身近なやりとりはして
いても、
 Uさんとは今は離れている…
 でも、絆がつながっているのは、こうした「気持」を折に触れ届けてくれているおかげだと
感謝し、教わっています。ありがとう!




 かつて、十代の頃、私には「足ながおじさん」がいました。
 親戚の伯父です。
 この伯父は、他のいとこ達にはしないのに、私にだけ、お誕生日にカーネーションの
アレンジメントを、必ず贈ってくれていました。

 高校の寄宿舎に入っている時も、この寄宿舎にまで花屋さんが届けてくれたのを覚えて
います。
 「何故とも子ちゃんにだけ?」
 と、他のいとこ達が聴いてもニコニコしているだけ。

 このプレゼントは、私が自立し社会人になるまで続きましたが、
 大人になるにつれ、自分が今度は誰かに手を差し伸べる立場になるにつれ、だんだん
その意味の深さが分かってきました。
 「頑張れよ、愛してるよ」
 と云う、精神的サポートだったということに。

 当時、父・継母・妹・弟 と云う家族の中に、私の居場所は年々小さくなり、無くなりました。
 なにが辛いかと云って、自分を認めてもらえない親の日々の言動は、生きる力をさえ
奪い、明るい希望なんて皆無でした。
 その状況を、伯父は察知していたのでしょう。

 こうした親戚の状況に、手を出し、口を出す難しさは、今になれば、ものすごくわかります。
 でも、精神的虐待を受けている私を、大人として黙ってみているのは同罪、と思っての
ことでしょう。
 伯父は、どうやら、父と継母に直接なにか働きかけもしてくれたらしく、大人の世界にも
亀裂が生じたようでした。
 が、それでも子供の私に対する優しいまなざしと態度は変わることなく、お誕生日には花
が届き、それにお芝居や音楽会と、足ながおじじさんは続き、支えられてきました。




 今、「思っているだけでは(はっきり云って、なんの役にも立たない)伝わらない、言葉に
行動に託して届けよう」との思いは、年とともに強くなります。
 その、意味の深さに気付かされている毎日です。




 ある一人の男の子、小学生低学年ぐらいでしょうか、
 そして多分、母子家庭。
 やっと仕事から帰ってきたお母さんに、その子が云います。
 「僕ね、お小遣いでコロッケ一つ買ったの
  お母さんと二人で食べようと思ってね、待ってたの
  冷めちゃったかもしれないけど、
  さァ、お母さん、半分っこして、食べよう!」

 これは、新聞の投稿欄に載っていた話ですが、
 思い出すたびに、この子の優しさが胸に迫り、涙が出ます。
 貯めたなけなしのお小遣いで、近所のコロッケ屋さんに飛んで行って
「コロッケ一つ下さいッ」と、お店の人を見上げ、包んでもらった揚げたてのホクホクを、
そっとその手に受けとる姿。
 その帰り道、「お母さんと半分っこ 半分っこ」と、おとさないよう、そっと、そっと注意深く
歩く姿……!

 何年たっても、齢を重ねても、このエピソードどれほど心をあたためてくれているか
分かりません。
 私も、素朴に、そうありたいと思わせてくれている、お手本でもあります。




 先日、さる大手出版社の編集長だった女性と、「生前葬」について話が盛り上がりました。
 「ありがとうを云うなら、生きているうちよね」との思いで意見一致。ピタリ一致。

 ま、ネーミングがいささか気に入らないので、もっと楽しく感謝を表わすタイトルはない
ものか、と、真剣に考えたりしています。
 ホント、死んでからじゃ間に合わない。
 それに、残された時間が、そうたっぷりはないもの、と。

 そんな中で、自分は自分らしくと考えて、生前葬とまではいきませんが、小さな感謝の
プロジェクトの一歩を具体的に踏み出すことがやっと出来、ちょっとホッとし、又、ドキドキ
しながら、この三月を迎えました。
 中身は ヒ・ミ・ツ、です。




 まだまだ、ワイワイ集まることは無理でしょう。
 しかし、よーく考えてみると、出来ることはありそうです。
 自粛で自滅しないよう、踏んばりましょう!

 あなたの笑顔を、想いおこしています


                                        2021年 3月 1日
                                            
                                            今井登茂子
                                                                                              



 
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