No.339


2020年 12月 師走

 世界中がコロナ禍にあえいでいる中、
 季節だけは忠実時を刻み、今年もクリスマス・師走と、2020年最後を迎えようとして
います。

 お元気でしょうか。
 へこたれて地面ばかり見つめてはいませんか。
 大丈夫?!




 このところ、毎日毎日警戒レベル最大。感染者数が最大。重症者数最大…… と、
ニュースを見るのが苦しい……。
 私たち八十代は、感染する確率が三十代の70倍!!
 と新聞に記されていて、ただただ恐怖心がつのるばかり。
 「コロナウィルスに感染すると、18才から20才くらい歳をとると云われます。つまり59才
の私は、77才の人と同じくらいに、死にやすい状況・環境に置かれるということ」
 とは、感染症の学者の言葉。

 私自身へこたれているのか、ひしゃげているのか、自分のこともよく掴めていません。
 一時、胃がおかしくなって、胃カメラ検査したり、食欲がおちたり、ひきこもったりと、一応
あたふたは仕方がないこと、と思っています。
 それに、結構誰もがそうやってもがきながら、それでも、と踏んばっているのでしょうし、
ね、
 私ひとりの苦しみじゃない、と、云いきかせながら。




 実はそうした中、どうしても飢えた思いで音楽会に行ってきました。
 完全武装です。とっておきの医療用マスクと、携帯ミスト吸入器、ハンドクリームに携帯
アルコール。
 帰宅したら即洗濯機に放り込める洋服。
 もし、席の左右が咳き込むなどしたら、迷わずに立ち上がって移動か退出する覚悟で。

 で、よかった… もう、涙がにじみます。
 特に、合唱という、人の声のなんというあたたかさ!
 まさに命の洗濯! ペタンコだった心がふくらんでる!
 生き延びました。
 これで、また、もう少しは持つだろう、と、北風の中を帰ってきました。




 その夜、明け方の5時頃のことです。
 窓の外が、ブラインド越しに、少しだけボーっと白んできたかな、という頃。
 半分ウトウトしているベッドの中で、
 ハッとしました。

     白鳥は かなしからずや
        空の青 海のあをにも
           染まず ただよう      (若山牧水)

 ふしぎなことに、突然、この短歌がストンと降りてきたのです。
 そしてたちまち、心の中に一面湖がひろがり、
 一羽の白鳥が、今、まさに翔び立とうとして、いるイメージが、心の中いっぱいにひろがり
ました。

 首を懸命に前に伸ばし
 水面を力強く蹴って、水をしたたらせながら
 キッとまなじりに覚悟をにじませ
 翔び立とうとしている。
 ……
 ……
 そう、これはイメージなのだ、と、分かっていながら、
 でも、
 これは、今の、自分の姿なのに違いないと、うすくらがりの中で、ジーっと息をつめて、
見つめていたのです。


 そして、
 我にかえって、考えてもいました。
 飛行機は、離陸が一番難しいと云うけれど、
 白鳥は、水という足がかりのない場を、どうやって蹴ってパワーにするのだろう、と。
 スイスイと泳ぐのは見ていても優雅だけれど、生き続けるためには、飛び続けて、別の
土地へ移動しなければならないし。
 その答えはどこにあるのかな、と。
 気がついたら、少しづつ明けてくる外を見つめながら考え込んでいる自分がいました。




 今年一年をふりかえってみれば、
 一月末のMy Birthdayには、大勢集まってワイワイやっていました。
 それが、突然の学級閉鎖・志村けんさんが亡くなり、一挙に「大変だ」と他人ごとではなく
なり、緊急事態宣言ステイホームと右往左往が始まります。

 その、どこが、どうなっているのか、わけが分からない中で、すがるように、何冊かの
感染症に関する本を読み、脳天を打たれました。

 私は、結核で、戦争中に母を亡くしてる。
 あれは、当時防ぎようもなかった「感染症」だったんだ、と、ぐっと感染症が身近な問題に
なりました。
 そして、まだ、ワクチンもない中で、バタバタ死んでいった一人が母だったんだ、と。

 今、コロナは大変ではあるけど、戦争中と全く異なるのは、国中でなんとかしようとして
います。
 でも、あの昭和19年当時、人々の置かれた生活状況はあまりにも異なり、患ったらその
まま死ぬと云う酷な時代。
 放り出されたままだ。
 おまけに、父が出征で母は頼る人もいなかった。
 食べるものも、薬もナイ。
 だるくて寝込んでいようものなら、防火訓練にも出てこない非国民とののしられただろう。
 だから、若かった母は、ハシゴのてっぺんに片足をかけ、バケツの水を電信柱に向って
エイッとかけている姿を、思い出す。
 涙が出る。
 コロナは、そんなに突然の問題じゃなかったのだ。
 と、私は、脳天を打たれながら、母を心の中に抱えながら、今さらながら、ボーっと突っ立
つ始末。


 それからもう一つは「ホーソウのアト」のこと。
 正式には、天然痘のことですが、小さい頃は、ホーソウと呼んでいました。
 と、云うのは、
 私が幼い頃は、種痘と云って、腕の肩からちょっと下がったあたりに、天然痘にかから
ないように、義務的に種痘をしてもらい免疫をつけていました。

 そうしると、ハンコの跡ほどの「ホーソウのアト」が皮膚に刻まれて残ります。
 小さなひっつれです。メスで刻みつけるからでしょう。

 ところが、私にはこれがありません。
 「女の子だから、表面にひっつれが出ないように」と母は私の二の腕の裏側、わきの下
の側にしてくれていました。
 妹は足の裏に、です。
 すごい母の愛だと、これで又心が震えました。


 天然痘を人類は撲滅させましたが、
 それはもう、気が遠くなるほどの、長い歴史の中でで、私自身にも、その防衛の痕跡が
あることに、なんとも云えない哀感を持ちつつ、やっと少し見えたのです。
 この、コロナ、そうそうすぐ収束することなど、ないなと。


 そうそう、今年の6月は、最初から真夏日でしたね。
 もうれつ暑かった。
 その中で、高校野球中止、オリンピックも延期と続き、私たち長年の歩み、夏の長崎での
平和朗読会もストップせざるを得ませんでした。

 そして、種火だけでも残したいと頑張ってきた、この12月の、東京でのクリスマス朗読
コンサートも、延期せざるを得ませんでした。

 正直、疲れました。五~六倍の体力が必要だったでしょうか…。
 毎日毎日感染者数が発表されるたびに、心臓もハクハクしてきました。
 全体を客観視したくても、日々状況は変化、心も準備も追いつきません。


 でも、
 その疲弊した心の中で、白鳥が翔び立ってくれたなんて…
    「白鳥はかなしからずや
        空の青 海のあをにも 染まずただよう」
 ヨカッタ。
 右往左往の一年だったけれど、「私は私でいられる」
 空の青でも、海の青でもない“私の青”でいられる、と心底思える出来事でした。




 コロナは、計らずも、自分にとってなにが大切な存在なのかを、はっきり、くっきり、
分からせてくれたように思うのです。

 たとえば、野球のファンにとって、球場で観戦し応援することが、自分に元気をもたらし、
三度の食事同様、なくてはならないものであるように。
 私にとって、「ことば」と「音楽」は、活きいき生き続けるための糧であることを、痛感させ
られた出来事となりました。




 このコロナ、まだまだ出口がみつからないけれど、

 その中で、「自分の好きな大切なもの」をしっかりと手元に引き寄せ、
 注意深く、賢く、慈しんで、日々を過ごして行きたいものですね。
 きっとそのことが、動じないで、強くいられる源・土台になってくれるに違いありませんから。

     「メリー・クリスマス!」
    そして、どうか穏やかな年末・年始でありますよううに、と心から祈ってやみません。
 
     「お健やかでありますように!」



                         追 伸
                           お正月は箱根駅伝をみて過ごしております。
                           次回 松の内にはお目にかかりたいと
                                           思っております。

                                        2020年 12月 1日
                                            
                                            今井登茂子
                                                                                              



 
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 2019年
  
  初めて福島での「水の会」音楽朗読会が開催されました
  「大切なものは 目に見えない in 福島2019」
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   「大切なものは目にみえない2019 水の会クリスマスチャリティコンサート」
   (2019年12月22日開催)
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