No.345
6月 水無月

 庭には、薄いブルーのあじさいがみどりの中を流れるように咲いています。
 その手前に、よーく見ると、「夫の百合」が、固いつぼみをつけて、スックと立ち上がって
います。
 きっと、あれよあれよと云う間に大きくふくらみ、オレンジ色に色付き、花開いて
この六月を彩ってくれることでしょう。

 おかわりないでしょうか。
 みんな疲れていますけど、どうか、「お元気で」あってくださいね。




 たった今、正確に云えば、カレンダーは5月31日で、あとほんの少し時計の針が進めば
6月と云う今。
 心の中にも、みどりの風を吹かせたいと、片っ端から本を読み漁り、原田マハ著
「リボルバー」にヒット!
 面白くて一気読み!しました。

 「ヴァン・ゴッホは、ほんんとうにピストル自殺をしたのか?」
 「ー 殺されたんじゃないのか?
  ……あのリボルバーで、撃ち抜かれて」

 ー ゴッホが自殺に使ったとされるリボルバーは、
   2019年6月19日 パリの競売会社オークション・アートによって競売にかけられ、
   16万ユーロ(約二千万円)で落札された。ー

 と云う史実に基づく、実に壮大な想像力と、緻密な事実を重ね合わせたフィクションです。
 ワクワク・ドキドキ・ハラハラの連続で、
 中でも、一つの事実も、見かた、視点をかえると、全く異なった世界がみえてくることを、
この本の中で、いやと云うほど体験もさせてもらいました。




 もう一冊、マンガ家・萩尾望都書き下ろしの「一度きりの大泉の話」も、一気読み、
止められませんでした。
 食事中も、寝ながらも読み続け、嘆息ついて、読み終わったところです。

 そもそもが、「変なタイトルだな?」と、それほどの強い興味もなく、ただ、この人のマンガ
が好きなので、本を開いたのですが。
 「前書き(そもそものきっかけ)」に、思わず前のめりになり、
 この、わずか4ページの前書きに、ぶっとび。
 ぶっとび放しで、全351頁を、一日で読み終えて嘆息をついている、と云う訳です。


 人間関係って、むずかしい…… と云ってしまえば、それだけの話ですが。
 マンガが描きたくて、故郷から出てきた萩尾望都は、東京の大泉の小さなアパートと、
その周辺に寄り合った数人と仲良くなり共同生活……。
から始まる青春時代(1970年~1972年の2年間ほど)
 その中に、しっかり者の竹宮恵子(風と木の詩)が居て。

 でも、竹宮恵子がわざわざ呼びつけて発した、萩尾望都への「ひと言」で、二人の仲は
断絶。
 以来今日まで約50年間。
 萩尾望都は、「一切お逢いしていません。また、竹宮先生の作品も読んでおりません。
私は一切を忘れ考えないようにしてきました。考えると苦しいし、眠れず、食べられず、
目が見えず、体調不良になるからです」

 ところが、最近「その竹宮先生が2016年に自伝本を出版され、そこに大泉の時代のことや私のことが登場するらしいのです」
 その直後から、まわりが騒がしくなり、中には当時のことをドラマ化する企画まで持ち込
まれ、困惑の果ての「一度きりの大泉の話」となった、と云うことで。
 萩尾さんは、その前書きのラストに、はっきりとこう記されています。

 「仕方がない、もう、これは一度話すしかないだろう
        (中略)
  ちょっと暗めの部分もあるお話し ー 日記というか記録です。
  人生にはいろんな出会いがあります。
  これは私の出会った方との交友が失われた、人間関係の失敗談です」と。




 読み進む中で、そして、読み終わり、一つとても共感できたのが、
 「どうしてこんなことを云われるのか、理由が全く分からない…  
  なにが、どうなっているの  ?」
 と、度々くりかえされる、萩尾望都の困惑が。「私と同じだ…!」と云う…。
 でも、その時、「どうしてそんなことを云うのですか?」 と反論できない………
言葉が出てこない…… あまりにも突然の理不尽な発言に、ボーっとなってしまう。
 と云う点が、そっくり。
 あまりにもそっくり。
 病的でさえあるほど、かえす言葉が出てこない所が本当によく似てる。

 そして、相手を責めるよりも、自己反省をくりかえしながら、私も、精神のバランスを崩し
たことが何度もあるので、この人が、目が見えなくなるほど病んでしまったことが、これ又
よーく分かる。

 そして、少なくとも私の場合は、その人、その場から逃げて自分を守る……と、
これも同じ。




 いやはや、どっちが良い、とか、悪い、と裁くつもりなど毛頭なく、
 そして、世の中には、云いつのる人が大勢いて、中には、いえ、そのほとんどが、
伝言ゲームの末に、聞きかじった内容を色メガネで見て、間違った事実をもとにj平気で
言葉をあびせかけることを平気でやる。
 と、これまでも思ってきたので、
 この50年目にして、仕方なく沈黙を破って出来小上がった「失敗談」なるものを我身にも
置きかえ、嘆息をもって、読み終えた次第です。


 因みに、私の人生訓は、
 「あれッ?」とひっかかったことは、そのまま黙って無視を貫くか、
 又は、直接本人に会って、確かめる。
 の、どちらかに決めています。

 特に、自分に対する誹謗中傷は、一切関わりたくなくて、戦いも挑みたくなくて、無視を
決め込み、なるべく傍に寄らず、自分の世界を大切にしてきました。




 ですから、この、「自分の大切な世界」に土足で踏み込まれた時は、私は、なりふり構わ
ず戦うでしょう。


 そう、かつて、継母がふともらしたことがありました。
 「登茂子が、本当に怒ると、恐い」 と。 絶対に後に引きませんから。

 そんなことも、この本を読みつつ、思い出してもいました。
 人間は一人一人、生きて行く上で、持っている価値観は違っていて当り前。
 …… でも、これが全く分かってない人が多いですね。
 何を大切にしているのかも、当然全く違っています。
 ですから、何に誇りをもっているかも、違っています。
 戦いどきも、違うのは当たり前なんですよね。






 「自分が、何に向って、どこを見て、歩いているのか。」
 「だから、今、これがしたい。」

 故・夫をはじめ、私を愛して下さった、そして、今も愛して下さる全ての方々に、
出来る限りの感謝を送りたい!

 それしか頭の中にありません。


 あれこれ疲弊する日々ですが、だから尚のこと「自分らしく、強くありたい」ですね。
 あなたの「元気」を祈ります。
                              
                              みどりの風の中で、愛を込めて




                                            2021年6月
                                            今井登茂子
                                                                                              



 
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