No.335


2020年 7月 文月

 まだ「雨の季節」。
 6月の末日にこのたよりをしたためています。


 これからは、カーッと照りつける日々が、そして、何かと云うと、台風の情報が、私たちの
日々に押し寄せてくることでしょう。
 コロナ対応の毎日の中で、熱さ、暑さは、一番の難関。
 マスクをつけたり、はずしたり、の、タイミングも上手にならないと、熱中症になりそうです
ね。




 これから、いったい、何が変わるのか。
 どう変わるのか。

 不安で、身も心もなぎ倒されそうな中で、
 では、いったい、自分はどうすればいいのか。
 ふらつく身体を、
 クラクラする頭で、
 考え、学び、また考え、耳目を全開して過ごしてきたここ数ヶ月。
 ここまで自分を追い詰めてこそ、知ったこと、気付いたことのいくつかは、多分、これから
生きていく中では、大切な土台や指針になってくれると、自分を信じて、前を向いております。

 あなたは、どんな風に、この時代の風の中を、生きていらっしゃるのでしょうか。
 どうか、お元気でと祈っております。


 そうそう、これまでこの便りを、長期にわたって発信してきましたが、
 先の6月の季節のたよりには、何人かの方々から具体的な返信を頂戴し、
 とても、とても、心満たされ、嬉しかったです。

 わけても、自分が「今」をどう過ごしているか。
 どんな本を読んでいるかを
 かなり、具体的に書いたわけですが、
 「その人の本棚を見れば、大体その人の精神生活が分かるものだ」
 と、昔から言われているくらいなのに、
 あまりにも書名が並んだ文面に、びっくりされてしまうなァ…
 と懸念していたので、
 共感して頂いた返信は、心強くさえありました。
 ありがとうございました!




 このところ、「差別」という言葉、よく見かけます。

 差別って、
 自分が他人に無意識にしていて、気付かなかったり、
 意図的であることを自覚し、ふっと自省したり、
 中にはヘイトスピーチのように攻撃的な人もいます、
 反対に、これって、されてみると、
 ズキッと心に深く突き刺さり、
 ときには一生重くのしかかり、どうしようもない傷となります。

 今、何かというと「東京人は来るな、コロナ菌のかたまりだ」との声があり、
その気持ち、わからなくもないのですが、その声の中で、「差別」について、とても「冷静」
に、思いをめぐらすことになってしまいました。
 それは、このコロナ騒ぎのおかげで、長年、とても不可解に思っていた事実の理由が、
「なるほど」と、はじめて腑に落ちたのです。




 遡ること、約77年前、6歳の時。
 母は、今のコロナのように、当時大流行した感染症「結核」で、命をおとしました。
 発症して、亡くなる間が、一ヶ月もなかったことは、あのコロナで亡くなった志村けんさん
と全く同じ。
 特効薬もなにもなく、真冬なのに、家中開けっ放しにして、八畳間の床の間の前、布団の
中に身を横たえていた姿は、くっきりと心に刻まれています。

 隣室は、ふすま続きの六畳茶の間で、
 このふすまはいつも開けっ放しで、
 子供心に広々した空間の中、私はいつも、母から一番遠く離れた、六畳の長火鉢前に
座って、母の方を向いて話したり、火鉢にアミを乗せ、鮭の焼け具合を、病床の母から
教わっていたり。
 と、そう、今の三密と全く同じ。
 なかなか近くに寄せてはくれませんでした。

 でも、最後には吐血し、
 6歳の私に母は、頼るしかない。
 私は、洗面器を差し出し、その時だけは母の傍らに居ることができ、むしろ嬉しかった。
 役に立てるのが、嬉しかった。
 ドロッとした、生あたたかい血をこぼさぬようにお風呂場に運び流した時、窓の外は、
明るく寒かったことも覚えている。

 と、そんな中で、私は結核感染。
 自分自身、あまり辛いという強い自覚はなかったけれど、
 いつも太陽がまぶしく、体がだるかった…

 まわりの大人にしてみれば、これほど手におえない問題はなかっただろう、とは想像する
けど。
 そんな6歳の子供を、親戚は見放したのだと思う。
 気がつけば、私は、縁もゆかりもない、まったく未知の土地に「追放」されたらしい、と云う
ことに。
 この、コロナの騒ぎの中で、「東京人は来るな」の声の中で、はじめて気付いたというわけ
です。




 そう、私は長い間、孤児になってしまった6歳から終戦の8歳にかけて、群馬県水上にあ
る温泉旅館に預けられていました。
 でも、いくら幼くても、「どうして自分はここにいるのだろう?」と不思議でした。
 大人になってからも、まわりの親戚に、「あそことは、どう云う関係なの?」と訊いて回った
のですが、皆、知らない、と云います。
 それも、そこでの待遇は、いじめられこそしなかったけど、かわいがってももらえず。
 奥の間のオーナー家族の部屋は出入り禁止。
 私の居場所は、窓もない女中部屋に、他の住み込みのお手伝いさん達と一緒…


 そうだったのか、私は、感染していたから、だから差別された、と云うより、選別されたの
だろう。どこの親戚も引き取ってくれなかったのは、“私がコロナだったから”なんだ」
 と、なんと、77年もたった今、はじめて気付きました。
 はっきりと。

 「長年の謎が、こんな形で解けるなんて…」
 いささか、6歳のチビの自分を想像すると、切なくはあるけれど。
 誰かへの恨みもないし、怒りも全くありません。
 多分、預かってもらうための、裏でお金も動いたのでしょうね。
 でも、そうやって、愛の一切を奪われ、虫けら以下の存在になっても、生きのびることが
出来ました。
 だから「(女中部屋に)置いてくれて、ありがとう」と素直に思っています。


 それにもう一つ。
 中学生になり、道でばったり小学校一年の時の担任の先生に出会ったら、
 「あら、今井さん、生きていたのね」
 が第一声でした。

 てっきり死んだ、と思われていたようです。
 まわりの大人たちの。当時の私への「見かた」が凝縮したひと言でした。
 当時は、あまりピンときていなかったのですが、今になってみれば、この(ちょっとビックリ
した)ひと言の意味がよーく分かり、苦笑するしかありません。

 そう、コロナは、私に、思いがけない謎解きを与えてくれたと云うわけです。

 又、もう一つ、はっきり見えたことがあります。
 それは、継母に、いつも「とも子は馬鹿よ」と云われ続けてきた、その意味がわかりました。 
 だって、勉強だってそれなりに成績を出していたし、
 学校内では、活動もしていて、役員も任せられている自分なのに、どうしてこうも
「馬鹿扱いされるの?」と、これネ、不思議で、冗談云っているのか、と、あまりとりあわな
かったのですが、
 「あァ、そうか、私のこの性格のことだったのだ」とガッテンガッテンでした。
これ又、やっと今頃…!

 つまり、何と云えばいいのでしょうか。
 素直というか、疑ってかかることが出来ないと云うか、
 相手を信じ、いつもありがとう、と云っている自分……
 よほどのことがない限り、相手を悪者と思えないのは、今も同じです。
 ましてや、社会人となりたての頃、あの手この手で、自分を有利に導くために、あらゆる
手を回す人達の中で、「狼の中に子羊が入ってきたね」と云われたくらい、無防備。ニブイ。
 そういったことに知恵がまわらない……
 純粋といってしまえばそれまでですが、やはり、度が過ぎれば、馬鹿と云うことなのでしょう。

 今、このコロナ自粛の日々の中で、自分の性格や生き方を、改めて自覚させられ。
そんな自分を、「それでよかったのよ」と愛おしく抱きしめています。だってこれ、きっと、
大好きな母ゆずりだから、と。




 そんなこんなのコロナ禍の中、もがき、苦笑し、いろいろなことに気付き、たくさん本を
読み。
 結果、スッキリと、迷っていた「水の会」の活動について答えを出すことが出来ました。

 今年、2020年12月20日のクリスマス・朗読コンサートは、
 公的に、解除され許される限り、「やる」と。

 たとえ、フェイス・シールドを被ろうが、
 お客様が少なかろうが
 ひとりで読むことになっても、 やります。

 それは、ここまで育んできた「灯を消さない」ためにです。

 どんなにちいさな火種でもかまわない。
 かつて、私たちの母は、一つの火種を、消炭のツボの中に置き火として残しましたね。
 次に火をつけるときに、少しでも楽なように、と。
 あれ、です。


 仲間っていいですね。
 家族っていいですね。
 信じ合い、助け合いながら。
 音楽とことばを紡ぎ続けたい。

 馬鹿だと云われ続けた私の性格も、逆に、こうしたことの推進力としては、一途な力を
発揮します。
 今、ここに残す、ささやかな、でも熱い小さな火種が、
 どうか、ここから先、未来への希望の一粒となりますように、と信じ、祈りながら!

                                         2020年 7月 1日
                                            
                                            今井登茂子
                                                                                              

※ 元気にしておりますが 8月は「季節のたより」お休みします。
  皆さまも 変わらずお元気で!
     


 
NEWS

 2019年
  
  初めて福島での「水の会」音楽朗読会が開催されました
  「大切なものは 目に見えない in 福島2019」
            こちらから


   「大切なものは目にみえない2019 水の会クリスマスチャリティコンサート」
   (2019年12月22日開催)
            こちら から