No.330


2020年 2月 如月

 今、キャラメルをなめながら、この便りを書きはじめています。
 お元気ですか!

 小さい頃、記憶にある唯一の甘いものはキャラメルです。
 母が、フライパンを火鉢にのせ
 お砂糖を入れ、
 ゆっくりゆっくり練り上げて作ってくれた思い出。
 多分、だから、今でもキャラメルが好きなのかもしれません。

 特に、寒いこの冬場、
 キャラメルをなめていると、ふと気持ちも甘くやわらかくなってきます。



 12月から1月にかけて、訃報の多い冬でした。
 12月に入ってすぐ、手回しよく賀状を用意し、
 「今年は、後手にまわらないぞ」と、さっさと賀状用のポストに…… とやっていたのですが、
 ごく身近な身内のお葬式が、年末にたて続けにあり、「ということは、私は喪中なのだ」
と云っている間にお正月。
 なんだか、「おめでとう」やら、「寒中お見舞い」やらで、混乱してしまいました。
 ご迷惑をかけてしまっていたら、お許しください。




 私には、小学校時代の幼なじみは、一人しかいません。
 いえ、七回も転校したわりには、一人いるって、逆にすごいことじゃないかな、って思って
います。
 その幼なじみは、八戸に住んでいて、よく電話でおしゃべりします。

 先日、その彼女が夫を亡くし、電話の向こうで、こう云うのです、
 「独りって寂しいね、夜は怖いしね、
  ともちゃんは、こんな中で、十年も暮らしてきたんだと思うと、ね、
  私は、ともちゃんに、もっと優しいことばをかけてあげればよかった、って、思ってるの」

 私は、胸をつかれました。
  だって、充分に優しかったし、気をつかって、リンゴを送ってくれたり、電話をくれたり、
と、突然に夫を亡くして立ち往生している私に、ずっとよりそってくれていたから。

 でも、彼女は、そう云うのです。
 「もっと優しいことばを、かけてあげればよかった」と。
 ………
 こんなに、素朴な、愛情に溢れたことばって、聞いたことない。
 ………
 その、ゆったりとした東北なまりのことばは、私の胸の中にじんわり広がり、心に沁み、
涙があふれました。

 「充分優しくしてもらっているわよ」
 「いや、なんというか、その……」
 「わかるわよ、この、独りの寂しさって、どうしようもないものね、なってみなけりゃ、わから
ないと思う…… うん、そう云ってくれて、ありがとう」




 私たち人間って、想像力で、少しでも相手の近くに飛び込み、その気持ちに寄り添いたく
ても、限度があるのかもしれません。いえ、あって当たり前でしょう。
 一生懸命、でも、届かないことだってある。
 そして、自分がその身になってみて、はじめて気付くことも、とてつもなく多い。




 思い出すのは、長期入院して亡くなった親友のこと。
 入院先が私のうちから近かったこともあり、ちょくちょくと顔を出しました。
 お正月の外泊は、我が家に来てもらって、一緒にお雑煮を食べたり、と、家族のような
気持ちで接していたのですが、
 今、と云うか、後になり夫を亡くして独りという崖っぷちのような孤独の深さの中で、ハッと
気付いたのです。
 「あぁ、なんて‘一方的な‘接し方だったんだろう、ゴメンナサイ」と。
 たしかに、私は、一生懸命ジュースを作って届けたし、面白そうな本も手に入れて差し入
れた。
 それからなによりも、表現したくてベッドでもんもんとしていたので、色鉛筆や画用紙を
持って行き、とても喜んでもらった。
 私は、喜んでもらいたくて、工夫をしました。

 だけど、そのことも良いことだったけど、本当は、もっと
 「定期的に、毎土曜日には見舞いにこられる」とか、
 「今、忙しいので、悪いけど、今度は、月末になる」
 などと、次に来るスケジュールを、きちんと約束できていることが、ずーっとベッドにしばり
つけられたこの人にとって、一番嬉しかったにちがいない。
 「次はいつ」とわかっていることって、孤独の中では、希望の灯ですから。

 でも、それは出来なかったし、していなかった………
 いつ来るかわからない人を待つのって、辛い……
 私は、うなだれる思いで、このことで自分を責めていました。
 やはりこれって、自分の仕事を優先させていることだけど、やろうと思えば、出来たはず
だ、と。


 もしかしたら、八戸の友人の「もっと優しい言葉」というのは、その辺のことを云っている
んじゃないかな、とも思うのですが、彼女は充分優しかったけど、当人がその立場に立ち、
そう思ったのかもしれません。
 空いた時間を見舞いに使うのではなく、自分の生活の中に、はっきりと友人のための
時間を、定着させる、と云う考え方です。
 そして、「定期的」というリズムの大切さについて、とことん考えさせられたのです。




 私たちの毎日の生活って、何気なく「いってまいりまーす」「ただいまァ」とくりかえしている
けど、
 その、当たり前に思っている日常が壊れて、はじめて、
「あァ……」と、その大切さに気付かされるのでしょう。

 少なくとも、私の場合は、「いって参りまーす」と元気で出かけた夫が、息もしてない遺体
で帰ってきて。
 そのショックと同時に、
 三度の食事の平和もなにも全部無くなり、家の中は、木も草も生えない荒野と化してしま
って、自分の身の置きどころさえない始末。
 ひと頃は、ドアを開けて家の中に入る時、まるで、天井からつららが下がっている大きな
冷蔵庫の中に入るようで、身震いしたものです。

 そうした中で、なんと何人かの友人は、「定期的」に、電話をくれるのです。
 ある人は、一か月に一回。
 ある人は、春夏秋冬、必ず。
 と、数が多い少ないの問題ではなく、引き続き、必ず。
 それも、この十年間、ずーっと!

 その一本の電話に、私は、どれほどなぐさめられ、励まされ、、ありがたかったか分かり
ません。
 話の内容は、もういろいろです。
 問題は、何を話したのか、ではなく、その友人が私のことを心にかけ、ずーっと「愛して
くれている」と云う気持ちが、私の心を明るくさせて、希望となって、氷のような家の中に、
あたたかさが戻ってくるのですね。
 そう、その人は、定期的に電話をかけてくれることで、私の家族でいてくれる、と、勝手に
思えて、とても安心! 倖せなのです。

 家族って、そう云うものでしょう?
 必ず帰ってくるから、家族なのですよね。
 機嫌のいい時だけ料理する、ではなく、やはり、三度の食事が基本ですよね。
 すべて、同じ決まったリズムで、日常が進みますね。

 一つの定期的なリズムって、安心感の土台だと、今さらながら気付いたわけです。

                 



 「風神雷神」(原田マハ著) を、とても面白く読みました。
 上下巻あわせて約680頁ありますが、途中で止められなくなり、気がついたら明け方
近くまで、という興奮ぶり。

 ノンフィクションではなく、あくまでもアート・フィクションと記されていますが、
 でも、この絵の類稀な動的で、大胆な絵に秘められた芸術的な価値は、それこそ迫って
くる動画のように躍動し、見事な本でした。
 なんといっても、遣欧少年使節と一緒に、絵師・俵屋宗達もローマを目指すのですから、
場面設定も、デカいです。

 私は、この冬、一月の間は、考え企画し、組立て、壊し、また、構築し、と頭の中は、今後
のこと、ということは、未来ということですけど、
 その未来、これからについて、考えぬくことの多い日々でした。
 その、疲れた頭に中に、この「風神雷神」は、実にダイナミックな風を吹かしてくれて
リフレッシュ、ありがたかったです。
 縮こまった身体に、心に、客観視も力を取り戻せた気もしました。




 まだまだ寒い日が続く、とは云うものの、
 如月は、ときどきキラリと春を感じさせる強い光を届けてくれます。
 背筋を伸ばし、目をあげ、歩いて行きたい!
 そう、関東では、この季節寒い土の中から、水仙が顔を見せて咲きますね。
 あなたも、寒さにまけないで、お元気で!


                                         2020年 2月 1日
                                            
                                            今井登茂子
                                                                                               


     

※ 「大切なものは目にみえない2019 水の会クリスマスチャリティコンサート」
   (2019年12月22日開催)
   こちら からご覧いただけます。

 
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 初めて福島での「水の会」音楽朗読会が開催されました
  「大切なものは 目に見えない in 福島2019」
            こちらから